「私たちはコミュニティの誰かを自分たちとは異なる他者とみなし、その他者のせいでこのような事件が起きたと解釈する誘惑に駆られる」
例えば、

依存症者、

精神障害者等々のせいにして、

彼らをコミュニティから一層“排除”することで、危機に迫ったコミュニティが再生するという幻想を抱こうとする。
私たちのコミュニティに他者はいない。

私たちは同じコミュニティの中で、尊厳を持って互いに支える存在である。

共生社会と言う理念が試されている。
ライナス.C.F.lp (カナダソーシャルワーカー)
やまゆり園事件が起き一年が過ぎたが、ずいぶん昔のことのように思える。

文科省の補助金がらみでの国会の紛糾、

共謀罪、

自らの秘書に対する暴言・暴力、

毎日のように報道されるミサイル、

Jアラード、

水爆実験等

情報過多時代の有事感覚、

何を信じて生きて行ったらいいのか!

子供の頃の国営放送と新聞への信頼性とは大きく違い、個人の判断力がもとめられている。

リテラシーなどと言う言葉で新たな概念のように!

落ち着かず、

追い立てられていて個々に防衛をしなければならないような感覚を持つ。

そして、コミュニティへの信頼が揺らいでいる。

個々は弱いがために攻撃的になる。

無力感が立ち込める。

“安心”に包まれる社会を!など未来に希望を持つような表現も“ポエム”という否定的に言われる。

ところが“ポエム”の反対語は“自虐”である。

未来をイメージできるのは人だけ!

ならばいい未来を!

人は使う言葉により感情が左右される。

有事感覚や多くの情報に左右されない普遍性のある言葉を心にとどめおこう!

「この子らを世の光に!」糸賀一雄